インディーズ・ポップスユニットm7のプロデューサーMarkのblogです
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基礎の基礎が怖いってことを今日何度も言っておきます
偽計業務妨害容疑で予備校生逮捕 「合格のため一人で実行」 - エキサイトニュース

ネットに答えを求めた時点で「何たるお馬鹿さん、大学に行く資格無し!」と思ったが、逮捕されだんだんと事情がわかってくるにつれ、可哀想になってきた。我々の時代で言う所謂受験ノイローゼ、切羽詰まっての犯行のようだ。

だが問題は、この事件を指して「こういう人材が大学に必要なんじゃねぇの?」とか「クラウド時代の大学生はこうあるべき」なんつーふざけたtweetなりBlogなりが一部に見受けられたことだ。中には「カンニングはいけないが、創意工夫は素晴らしい」とか、わかった風の物言いをする人もいたりするが、そういう人は社会に出て「大学のなんたるか」をすっかり忘れてしまったとしか思えないね。

基礎の基礎が大事なんです。入試とは、その基礎を計る為の基準なんだということをも今日何度も言っておきます(初めてですがw)

よく言われることだが、日本の教育は記憶力が中心で、創造力を伸ばすようにできてない、なんてことを仰る人がいる。だが、プロのクリエイターとして長年やって来た自分が一番思うのは、クリエイティブな分野においてもプロとしてやっていくには基礎が一番大事なんだ、ということ。「感性が一番じゃね?」と思っている人は多いと思うが、感性だけでやっていてはよほどの天才でない限りプロとしては失格なのだ。何故か?クオリティにバラつきが出るからだ。

例えば音楽の世界。プロとしてやっていくには「理論」を身につけてないといけない(※注:これは必ずしも音楽理論を体系的に学ばなければいけない、ということではない。長年に渡りいい音楽を聴いてきて、自然と理論が身に付いてしまっている人もたくさんいる。要は音楽に於いて何をしていいか、何をしてはいけないか、が感覚的に解っている人だ)。
ちょっと昔の話になるが、素人なのに政治力だけでJ-POPの世界で楽曲を発表した人がいる。その曲は、サビの終わりでドミナントモーションを無視し、非常に不快なコード進行を使っていた。本人は「個性だ」と言いたげだったが、また周りも恐らく何も言わなかったんだろうが、明らかに素人丸出しの、しかも前衛音楽ならまだしも、J-POPというある意味コンサバなフィールドでそれを発表してしまったという点で、世紀の駄作となってしまった。(これを見て、勘のいい業界人の中には「あああれか」とわかる人も多いと思うが、黙っててね。恐いのでw)

例えば映像の世界。「イマジナリーライン」が解っていて、効果としてあえてドンデンに入るのと、何も知らずにあっちゃこっちゃから撮ったものをつなぐのでは全然違う。後者がたまたまものすごく格好よくなったとしても、それは理論を知らないから再現できない。次の作品では素人丸出しのものになってしまう。プロとして一定のクオリティの作品を作り続けていく為には、やはり基礎の基礎が大事なのだ。そして、その上に乗っかるクリエイティビティが、すごい人かそうでないかを決めるのだ。

で、大学にとって入試とは何か?それは、大学の授業が受けられる能力があるかどうかを計っているのだ。大学全入なんて言われてたから忘れられていたかもしれないが、大学ってのは最高学府なわけである。大学に入ると、あの入試を突破したんだからこのぐらいは解るよね、ってのが前提で授業が進むのだ。ひとつひとつの知識をググっている暇は、そこにはない。

正月にサンデル教授の白熱教室をNHK教育でやってた。2日だったから途中からだったが、食い入るように観てしまった。さすがはハーバードの学生、誰も教科書に目を落としている者はいない。そんな中、教授の発した問いに、学生達が丁々発止のディスカッションを展開する。当然学生達は、哲学・政治思想史や、法学の基礎知識があった上でないとこのディスカッションには参加できない。基礎があって、その上で意見を述べなければならない。

こうして、教育機関の中で唯一「自立して考えること」を訓練するのが大学という場である。高校までは暗記中心だけど、それは大学の授業を受ける為の「基礎」であって、大学に入って初めて自分で考えることを学ぶのである。自分で考えること、それはディスカッションからしか生まれない。

最高学府の役目は、将来日本を動かす人材を輩出することである。実際はそこまでいかない人が圧倒的多数な訳だが、その最高学府に入る為に資格が必要なのは当然のことである。それが入試なのだ。単なる就職へのパスポートではないのだ。

社会に出ると、自分一人で考えることの限界を知る。他人の言うことに耳を傾け、それを上手く取り入れることでいろいろいいように回っていくことを知る。それは大学では学べなかったことだ。それをもって、大学の授業は社会に出たら役に立たない、などという人もいるが、それは違う。社会に出たら、ネットワークでつながるのだ。だが、つながったサーバーや端末のCPUがどれも8ビットだったら、とんでもなく遅い、クオリティの低いネットワークになってしまう。大学はそのビット数を上げておいてくれているのだ。

ま、大学で何も学ばなかった者までとりあえず卒業させちゃうっていう悪しき慣習も日本の大学にあることも事実だけどねw

だから、入試で不正をして大学に入るということに、全く意味はない。京都大学では京都大学のレベルの基礎を持った学生しか生きていけないのだから。
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by Mark@m7|ReTweet by kenpapa9 | 2011-03-04 05:28 | 雑談
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