インディーズ・ポップスユニットm7のプロデューサーMarkのblogです
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究極の自由は人の行動を制限する
Excite 社会ニュース : 年金の着服99件、総額3億4000万円

これはひどい。ひどいがこれだけひどいと「公務員が」って話ではない気がする。特に社保庁のみならず全国の自治体にまでこれだけ広がっていると、「人間ってのは」と考えざるを得ない。

僕の親父は役人だった。清廉潔白を絵に描いたような人だった。公務員は金品を貰ってはいけないからと、お中元やお歳暮はすべて送り返していた。貧しい中で、送料はすべてこっち持ちである。シーズンになると、お袋が泣きながら返送作業をやっていた。子供心にそれを見ながら、「親父のような生き方は僕には出来ない」と思っていた。
親父のような人間であることが公務員の条件であるならば、この国から公務員はほとんどいなくなってしまうだろう。今、全国にこれだけ公務員がいるのなら、それらはほとんど僕と変わらない普通の人であろう。仕事関係の人におごられたり、時にはおごったり、お中元やお歳暮も普通に受け取る。年賀状に毛の生えたようなものだと思っている。
しかし、僕はネコババもしなければ使い込みもしない。ここがどうしてもわからない。なぜこんなにネコババしようとする人がいるのか。
報道ステーションで鳥越俊太郎が言っていたのは、「それが年金だから」。辻褄が合わなくてバレるのはずっと先のことになるので、魔が差してしまうのだろう、という。なるほど一理ある。だとすれば、同じ立場におかれた人間は、同じような確率でネコババをやってしまうのだろうか?盗むという行為のトリガーは、バレるバレないの状況判断によって引かれるものなのだろうか?僕も絶対にバレないという確信があれば、ネコババしてしまうのだろうか?

表題の件は、↓のエントリーでコメントのやりとりするうちに頭の片隅に居座った考えである。人は自由がいいと普通に思っているはずだ。自由と不自由なら自由を望むはずだ、と。ところが実は「何をしても自由だよ」と言われるととたんに何も出来なくなる人が多いのではないか。誰かが決めてくれて、「こっちだよ」と言ってくれないと、右にも左にも行けない、そんな人が多いのではないか。能動的人間と受動的人間がいるとすれば、受動的人間がほとんどなのではないか。最新の統計調査によると、インターネットをよく使うと答えた人の中で、ブログやHPその他CGM等で何かを発信している人は7%にも満たないという。そう考えると、僕たちがインターネット世論みたいに思っているブログコミュニティに集まっている人って、極めて少数の、特殊な人なのかもしれない、と思うと、変にカラ回りしてないか?僕たち。

「何でもしていいよ」と言われると、「な〜にしよ〜かな〜」と目を輝かせていろんなことを企む僕のような人間は少数派なのかもしれない。多くの人は「何もしない自由」を選択するのかも。確かに何もしないのって楽っちゃぁ楽かもねぇ。う〜ん、人間ってのは…
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by Mark@m7|ReTweet by kenpapa9 | 2007-09-05 02:28 | 雑談
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